1945年、日本はアメリカによる原爆投下で大きな被害を受けました。広島と長崎に落とされた原爆により何十万という人々が虐殺されたのです。
歴史的な犯罪を犯したアメリカはこれに飽き足らず、冷戦時代に数多くの水爆実験をマーシャル諸島で実施しました。喜んだのは軍需産業くらいでしょう。
1954年3月1日にビキニ環礁で行われた水爆実験は「ブラボー」と名付けられており、広島に落とされた原爆の1000倍の威力がありました(上写真参照)。まき散らされた放射性物質の量も半端ではありません。島の住民は住む場所を追われ、健康被害に今日まで悩み続けています。
日本の漁船である第五福竜丸もこの時に被爆しました。船員たちは放射線障害に苦しみながら亡くなったのです。第五福竜丸以外にも多数の日本漁船が放射能被害に遭ったのですが、日本政府はこれを隠ぺいしました。ご存知の通り、福島原発事故でも健康被害情報を必死になって隠しています。
写真(水爆実験の被害者) 出典不明
日本やアメリカを含む学習能力なき人類は自滅への道を歩んでいるとしか思えません。
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イギリスのガーディアンが関連記事を載せています。2014年3月2日付の記事リンクを下に示します。
上記リンクの英文記事から一部を以下に引用します。( )内は私の日本語訳です。参考にしてください。
「The Marshall Islands are marking 60 years since the devastating US hydrogen bomb test at Bikini Atoll, with exiled islanders saying they are too fearful to ever go back because of nuclear contamination.」
(マーシャル諸島のビキニ環礁を壊滅状態にした水爆実験をアメリカが実施してから60年になる。退去させられた島民たちは、放射能汚染が怖くて二度と帰れないと言う。)
「Part of the intense cold war nuclear arms race, the 15-megatonne Bravo test on 1 March 1954 was a thousand times more powerful than the atomic bomb dropped on Hiroshima.」
(緊迫した冷戦時代の核軍拡競争の一環として、1954年3月1日、15メガトンのブラボー水爆実験が行われた。それは、広島に投下された原爆と比べて1000倍の破壊力があった。)
「Bikini islanders and their descendants have lived in exile since they were moved for the first weapons tests in 1946.」
(1946年に初めて行われた核兵器実験のためにビキニの島民は退去させられたが、それ以来、彼らは子孫たちと共に国外生活を余儀なくされている。)
「When US government scientists declared Bikini safe for resettlement some residents were allowed to return in the early 1970s. But they were removed again in 1978 after ingesting high levels of radiation from eating foods grown on the former nuclear test site.」
(ビキニ環礁に再び住んでも安全だとアメリカの科学者が1970年代初めに宣言し、住民の一部は帰還が許可された。しかし、前回の核実験場所で栽培された食べ物を摂取することで高レベル放射性物質を体内に取り込んでしまい、住民たちは1978年に再び退去させられた。)
「As those who remembered the day gathered in the Marshall Islands’ capital of Majuro, along with younger generations, to commemorate the anniversary, many exiles refused to go back to the zones that were contaminated despite US safety assurances.」
(当時を知る人達は若い世代と共に、マーシャル諸島の首都マジュロで行われた60周年集会に参加した。アメリカは安全を保障しているが、汚染された地域に戻ることを拒否している人は多い。)
「US nuclear experiments in the Marshall Islands ended in 1958 after 67 tests. But a United Nations report in 2012 said the effects were long-lasting.」
(アメリカはマーシャル諸島で核実験を67回実施し、終了したのは1958年であった。しかし、その影響は長期間続いていると国連は2012年に報告した。)
「It is not just their homes that have been lost, said Lani Kramer, 42, a councilwoman in Bikini’s local government, but an entire swathe of the islands’ culture. “As a result of being displaced we’ve lost our cultural heritage – our traditional customs and skills, which for thousands of years were passed down from generation to generation,” she said.」
(ビキニの地方政府で委員会に参加している42歳の女性Lani Kramerさんは次のように述べた。「失ったのは家だけではないんです。島の文化全体が根こそぎ奪われたんです。移住させられた結果、文化的遺産・伝統的慣習や技術が失われたのです。それらは年千年もの間世代間で継承されてきたものなのです。」)
「“After they were exposed like that I can never trust what the US tells us [about Bikini],” said Kramer, adding that she wants justice for the generations forced to leave.」
(「島民たちが被爆した後、私はアメリカ政府の言うことを何も信じられなくなりました。退去させられた世代のための裁きを望みます。」、とKramerさんは述べた。)
「Also attending the week-long commemorations was 80-year-old Matashichi Oishi – one of 23 fishermen aboard the Japanese boat Daigo Fukuryu Maru (Lucky Dragon), which was 60 miles from the bomb when it exploded. “I remember the brilliant flash in the west, the frightening sound that followed, and the extraordinary sky which turned red as far as I could see,” he said.」
(80歳の大石又七さんも1週間に渡る記念行事に参加していた。水爆実験の時、60マイル離れた場所で操業中だった第五福竜丸の乗船員23名の一人だ。彼は言う。「西方に閃光が見え、その後爆音が聞こえ、見渡す限りの空が赤色に変わったのを覚えています。」)
「The plight of the crew is well known in Japan and on Saturday nearly 2,000 people marched to the grave of Aikichi Kuboyama – the chief radio operator of the boat – in the port city of Yaizu to mark the anniversary.」
(乗船員だった久保山愛吉さんの悲劇は日本でも良く知られている。60周年の土曜日には、港町焼津市にある彼の墓に向かって約2000名が行進をした。久保山さんは第五福竜丸の無線長だった。)
写真(久保山愛吉さん遺影を掲げ行進する人々) 出典はJiji Press/AFP/Getty
「Kuboyama died of acute organ malfunction nearly seven months after the test, while 15 other crew members later died of cancer and other causes.」
(水爆実験から約7か月後、久保山さんは急性臓器不全で亡くなった。その後、他の乗船員15名も癌などの疾患によりこの世を去った。)
以上